真剣に向き合うとは

モンゴルプロサッカー経験から学んだ「真剣に向き合う」ことの意味を解説した記事のアイキャッチモンゴルでのプロサッカー経験談
スポンサーリンク
サッカーショップ加茂

1. はじめに

2019年3月に、モンゴルで小さい頃からの夢だったプロサッカー選手になりました。

その期間はたったの4ヶ月で、正直自分が思い描いていた選手像では全くなかったですが、その短い期間で自分が経験したこと、学んだことを書きました。

1.1 この記事を書こうと思った理由

モンゴルに渡航したのは、かれこれ5年も前のことになります。

ですが、当時は自分の中で、咀嚼しきれていませんでした。

もちろん表面的なことは帰国後振り返っていましたが、本質的なところは振り返りができていなかったと感じています。

就活でも、このエピソードを話すと人事の方のウケはいいのですが、本質的なところを自分の中で整理できていなかったので、どこか説得力のなさを自分自身で感じていました。

ただ、5年たって様々な経験を積んだ上で振り返ってみると多くの気づきがありました。

そこで自分がどういう経験をしたのか、そこから何を学んだのか、それを今後どう生かしていけるかを考え直しました。

自分の体験が誰かの参考になれば嬉しいです。

2. モンゴルに行くことになった経緯

自分の経歴としては、小学校1年からサッカーを初めて大学途中でモンゴルに渡るまで、15年ほどサッカーを続けていました。

特にトレセンなどの経歴もなく、周りからの評価は普通の選手に比べて、少しテクニックがあるくらいの印象だと思います。

そんな自分がなぜモンゴルに行こうと思ったかというと、単純に自分がこれまで続けてきたことの中で一番自信があるのがサッカーだったからです。

当時の自分は、就活も目前に控え、「自分の強み」はなんのかを頻繁に考えていた時期でした。

小さい頃から両親には、ピアノ、習字、そろばん、水泳、など色々な習い事を経験させてもらっていましたが、そんな中で圧倒的に自信があったのがサッカーです。

一度は自分が一番自信のある分野で自分のレベルがどこまで通用するか試してみたいという気持ちがどんどん大きくなっていました。

ただ、自分は大した経歴もなく、クラブチームに入っていたわけでもないので人脈もなく自分の思いを叶える手段が見つからないという状況でした。

また、当時就活を目前にした状況で、これまで小学・中学・高校・大学という社会が作り出したレールの上を走っているだけの人生に疑問も感じていたというのもあります。

このままいけばみんなと同じように学校に行き、みんなと同じように就職活動して、みんなと同じようにサラリーマンとして働いてといった人生になる。
そういった人生を変える、もっと面白くするには、社会が作り出したレールをどこかで打ち破る必要がある。
そうすることで人生がひらけてくるのではないか

と生意気ながら考えていました。

そんなことを考えながら生活していた時に、インターネットで「海外でプロサッカー選手になるためのプロジェクト」を見つけ、今の自分がサッカーで挑戦できる手段はこれしかないと思い、申し込みしました。

それまで学校や社会が用意した選択肢の上でしか、決断を下すことのなかった自分にとってこの決断は初めて自分の意思だけで決めた決断でした。

セレクションは11月に東京で開催されたので、地方出身の僕は大きな期待とともに飛行機で、セレクションに乗り込みました。

絶対に失敗したくないという思いからしっかり体づくりなど準備をして乗り込みました。

そのおかげかフォワードで2ゴールを決め、なんとか結果を残すことができました。

セレクションのレベル感的には、感覚的には高校サッカーで県内ベスト4くらいの高校の選手であれば全然受かるくらいのレベル感です。もちろん総チーム数が多い県では、ベスト8くらいの選手でも全然受かると思います。

セレクション終了後一人ずつ個室へ呼び出され、合否が言い渡されます。
自分の番が回ってきて、その場で「合格」ということが言い渡され、モンゴル行きを提案されました。

今思えば、選手のプレースタイルにあった国やチームを紹介されるというよりは、単純にエージェントとしての繋がりが強く、比較的レベル的にも低くて契約実績を作りやすいという理由でモンゴルを紹介されたのではと考えています。

もちろん自分のレベル的にその他の選択肢はなかったかもしれませんが、今からもう一度挑戦できるとしたら複数のエージェントに掛け合って、自分のプレースタイルに合う国を選ぶと思います。

11月のセレクションが終わり、次シーズンの3~4月に始まるシーズンに挑戦するかどうかを考える猶予期間がありました。

自分的にはせっかく自分の行動で掴んだチャンスを生かしたいという気持ちで、挑戦することに迷いはありませんでした。

両親もセレクションに応募する時点からしっかり話し合った結果、最後は応援してくれるという風に言ってくれました。

ただ将来のことも考えて、もし結果を残せなかったら大学に復学するという条件で1年間大学を休学してモンゴルで挑戦することを決意しました。

1月に契約を終え、準備期間を経て、3月に渡航しました。

3. モンゴルでの活動

3.1 契約までの道のり

3月11日、大学の関係者以外では唯一そのことを打ち明けていた友達に見送られながら、モンゴルの首都ウランバートルへ旅立ちました。

着いてみてまず感じたことが、当たり前かもしませんが、「かなり寒い」です。

3月でしたが、ロシアに隣接する国だけあって、普通に気温は-20度台で日本では体験したことない温度でした。ですが温度の割には、感覚的に日本の盆地のような身に染みる寒さはなかったように思います。

数日後からは早速エージェントの方から複数のチームの入団テストに案内されました。

トップリーグの10チームのうち、5チームを回ってテストを受けました。

ですが、最初に回った4チームは結果を残すことができず、スカウトされませんでした。

一緒に参加した日本人選手の中にはユース出身の選手も1人いて、全てのチームで合格していたため、その時点で実力・経験の差を感じていました。

そんな中自分は、排水の陣で最後の1チームの入団テストに臨みました。

現実問題として、そもそも現地での入団テストに合格できなければプレーすることができません。

せっかく大学を休学してきてモンゴルまで来たにも関わらず、契約できずに帰国なんてことも普通にあり得ます。

しかし両親や友達に心配をかけてきてまで日本を飛び出してきて、このままでは終われないので、なんとしてでも受かるという気持ちで最後の1チームのテストに臨みました。

幸運なことに、最後の1チームでは以前から日本人選手が貢献しており、日本人というだけでかなりハンデがありました。

そういった運的要素もあったのか、最後の最後でギリギリ合格することができました。

正直なところ、実力で受かったのかは疑問で、どちらかというと日本人なら何かやってくれるという先入観、期待感で拾ってもらったという表現の方が近いかもしれません。

何はともあれ、合格することができ、これから挑戦を続けられるということにとても安堵した記憶があります。

チームは「ホルムホン (Khoromkhon)」というウランバートルを拠点としたチームで、過去に優勝経験もあります。

ただ、当時のホルムホンは低迷しており、トップリーグに再び昇格したばかりでチーム力、個人のレベルともに他のトップリーグのチームと比べてとても高いとは言えないレベルでした。

ただ、他チームにスカウトされなかった以上、他の選択肢としては帰国しかありませんでした。

後日、スタジアムの近くの日本料理店で契約が行われました。

契約内容や給料、家、ビザなどの説明を受けましたが。しかしそこで安堵していた気持ちに亀裂が入るような厳しい現実を突きつけられました。

契約書を見ると、そこに提示されてあった給料は日本円で約2万。(家賃とビザ代は別で支給)

日本より物価は安いとはいえ、生活していく上でギリギリの値段でした。

ですが最後に拾ってもらったということもあり、贅沢は言える立場ではないので、そのまま契約サインを交わしました。

ちなみに他チームの給料事情ですが、待遇がいいチームであっても日本円で10万いかない程度です。モンゴルサッカー界全体として、サッカーの盛り上がりはまだまだ発展途上だと感じています。

同じエージェント経由で来ていた3人も一緒に「ホルムホン」というチームに所属することになり、日本人選手が4人揃ったチームとして戦うことになりました。

3.2 契約後から初試合まで

無事契約を終え、試合に向けて練習を励もうと意気込んでいました。

そんな中、いきなり大きな問題に直面しました。

それは、

そもそも練習できる「時間」と「場所」が限られている

ということです。

本格的に練習できる場所としては、実際に公式戦が行われる首都ウランバートルにあるスタジアムとその近くにあるサブスタジアム、そこから少し離れたところにあるフットサルコートくらいの広さの練習場の3つだけでした。

それに加え、ほとんどのチームがウランバートルを拠点に活動しており、それらのスタジアムを時間ごとに複数のチームが使うという状況だったので、練習時間はかなり限られていました

なので、個人練習したい場合は、近くにある公園などを利用していました。

公園でホルムホンのジャージを着て練習していると、子供達が寄ってきて、「ホルムホンの選手だ!」と言わんばかりに話しかけられたこともあります。

内心すごく嬉しかったものの、かっこよく見えるよう振る舞っていた思い出があります。

そんなこんなで、ろくにチーム練習もできないまま、シーズンが開幕しました。

3.3 初試合

初戦はそのシーズンの流れを決める大事な一戦ですので、意気込んで臨みました。

以前からYoutubeで試合の様子は見ていて、観客の数が片手に収まるほどしかいないというのは知っていました。

ただ、シーズン初戦というのもあり意外にも観客が30人くらいは入っていました。
※リーグでは観客は少ないですが、モンゴル代表の試合では満席になる程盛り上がります。

そして入場時にははFIFAのアンセムが流れ、胸が高鳴ったのを覚えています。

その後胸に手を当て、モンゴル国歌を歌います。

雰囲気は最高潮に高まった中で試合が開始されました。

前半はかなり押されていたもののなんとか0-0で凌ぎました。
ただ後半、チーム全体として練習不足が露呈してしいまい、4-0と惨敗。

実力的に見ても差は明らかでした。本来であれば根本的に自分たちの戦い方を見つめ直し、話し合って練習に組み込み、改善していく必要があります。

ただ、当時の自分は自分が生き残るためにどうするかという自己中心的な考えしかできていなく、チームとしてどうするかということを考える余裕がありませんでした。

プロとしてお金が発生している以上、責任を持ってチームが勝つための行動をとるのが当たり前ですが、当時はそれさえもできていませんでした。

またチームとしても、問題意識を感じてそれを全員で共有して改善していくことをしていませんでした。

そうして初戦をきっかけに悪い流れが続くこととなります。

3.4 シーズン前半終了で帰国

この悪い流れを断ち切るために何かしないとという思いはありました。

ただ当時の僕はそういったい状況をどうすればいいかという知恵も、調べる方法も、人に相談する勇気もありませんでした。

何をすればわからず、とりあえず筋トレにがむしゃらに取り組んだり、体づくりのために自炊して、栄養のことを調べたりしていました。

ですが、本質的に改善すべきことが何かわからないまま、時間だけは流れていきます。

そうして根本的な解決ができないまま前半シーズンが終了し、成績は1勝7敗。

自身も公式戦1ゴール1アシストという結果で終わりました。

監督からは、「チームにいるといないよりマシなだけで、勝てるわけではない」といったニュアンスのことを言われた記憶があります。

そしてシーズン後半は、契約を続けるか、終了して帰国するかは自分たちで選択してくれと日本人選手4人に伝えられました。

契約としては1シーズンだったため、一方的に解雇することもできず、辞めるなら勝手に辞めてくれという意味だったんだと思います。

結局自分含めて3人は帰国し、1人は残って後半戦もプレーすることになりました。

4. 帰国を決意した理由・伝えたいこと

人生の中で最大の決断として、はるばるモンゴルに飛び出してきたわけですが、シーズン前半で帰国することになりました。

その理由を、当時は取って付けたようにいっていました。

異国の環境、チーム力の低さ、言語の壁、給料などあげればキリがないです。

ですがそんなことは枝葉末節なことで、本当の理由は今改めて考えると単純明快でした。

ただ「逃げてしまっていただけ」だと思います。

チームメート、監督と真剣に向き合って、それで嫌われようとも、意見を交わしぶつかっていく、それが怖くてできなかったんだなと思います。

思い返してみれば、それまでの人生でも「人と向き合うこと」を真剣にしてこなかった人生でした。

仲間のために、チームのために自分ができることは何かを表面上では考えているようで、実は一番自己中心的で、本気で向き合って考えてこなかったんだなと思っています。

いつも人に合わせて、人を尊重しているようで自分の意見がないことを隠している。そんなことが全て露呈した挑戦だった気がしています。

それも含めて当時の自分には、プロサッカー選手として生計を立てていくだけの器がありませんでした。

一度、チームメートの日本人から、「自分の足りないところがあれば言ってほしい」と言われたことがあります。

彼なりに悪い流れを改善するために、真剣に向き合おうとしてくれていたんだと思います。

ただ、当時の僕が出した回答は、

「特にない。」

です。

「むしろ自分がダメで自分のせいで足を引っ張っている」と答えた記憶があります。

その真意は、

過度な原因自分論で相手と向き合うことを恐れていた」

だけだと思っています。

自分自身の振り返りを行なって、自分の中に原因を見つけようとするのは、一見すると真摯な態度にも見えます。

もちろん、「こうなっているのは全て自分に原因がある」といって自省することも大切です。

ただ、全ての責任を自分だけで抱え込み、自分だけで解決しようとする姿勢というのは、ただの「逃げ」以外の何物でもないと今ならわかります。

ただ、当時の僕はそう言った考えができませんでした。

普段から現状の課題に対して、周辺の小さな問題ばかり改善しようとして本質的な問題にアプローチする勇気がなかったんだと思います。

本質的な問題は実は一番身近にあるけど、一番心理的負荷が大きい。

だけどそれに目を背けていたらいつまで経っても自分を変わることができない。

特に僕のような元々内向的な人間には、これが一番ハードルが高いことだと感じています。

ですが、それを乗り越えることでしか本当に深い信頼関係、チームとしての団結力は生まれてこないと思っています。

それらの経験を踏まえて今僕が言えることは、

サッカー選手になる上で「サッカーの能力自体は一番大きな要素ではない」ということです。

一番重要で大きな要素は、「どれだけ真剣に向き合うことができたか」という土台の部分だと考えています。

この姿勢を土台としないと、どんなに努力しても必ずぶち当たる壁を乗り越えていくことができないと思っています。

逆にこの姿勢を土台として、人と向き合い、サッカーと向き合えば、結果は必ず後からついてくると信じています。

これはサッカーだけでなく、全ての物事に当てはまると思っています。

もちろん個人競技でも同じです。

僕は、最近ジャズピアノをよく聴いています。

ジャズのサウンドと特有のリズムが大好きで、Youtubeでランダムに流れてくる名演奏を手当たり次第聞いています。

自分もいつかこんな演奏ができるようになったらいいなという思いで、少しずつ練習しています。

ここで少し本題から逸れますが、ジャズを例にとって、個人競技においてはどう真剣に向き合えばいいかの自分なりの考えを書いてみます。

ジャズの練習において、僕が考える向き合う対象は、

・自分
・ジャズを切り開いた先人
・先人たちが残したジャズ理論
・先人たちが残した演奏
・自分の演奏を聴いてくださる観客

です。

もちろんセッションなどで、誰かと一緒に演奏する場合には、「仲間」も入るかもしれません。

そしてこれらの向き合う対象は、自分の現在のレベルによって変わってくると思っています。

初期の頃は、ジャズの偉大な構成を残してくれた先人たちとどこまで向き合えるかがすごく大事だと思っています。

先人が残した理論を真摯に勉強し、そして先人たちが残した演奏・フレーズを真摯に分析することが「真剣に向き合うこと」だと思っています。

そして、まだまだ駆け出しの自分にとっては先のことになりますが、人前で演奏する時には、聴いてくださる方の声に耳を傾けることこそが、「真剣に向き合うこと」だと思います。

さらに、先人たちの理論・演奏、観客の声を吸収した後は、自分と真剣に向き合い、自分なりの演奏を模索して新しいジャズを切り開いていくことが「真剣に向き合うこと」だと思います。

現状の自分のレベルにおいて、向き合う対象は変われど、常に真剣に向き合うことでより成長して、結果も後からついてくると考えています。

このように団体競技だけでなくとも個人競技でも、逃げずに真剣に向き合えるかどうかが、最終的な成果を出すという意味で大切なことだと思います。

話を戻すと、このように何事をするにしても、土台となる「真剣に向き合う」覚悟を決め、その上で一つ一つの技術を磨いていけば、結果も全く違ったものになると思っています。

もし、何に真剣に向き合えばいいかわからないという人は、まずは「何に真剣に向き合うかを自分なりに考える」ところから、真剣に向きあってみればいいと思います。

5. 帰国後

「真剣に向き合うこと」という自分の中での大きな気づきを書きましたが、当時の僕はもちろんそういったことは考えれていません。

ただその中で、自分の実力が通用しなかったということだけは明らかでした。

とりあえず今後のことも考えて、大学は卒業しようと決断して、復学することにしました。

復学して卒業するまでの間、どこかのチームに所属してまた一からサッカーをやり直すという選択肢もありました。

ですが、結局それから5年経つ今に至るまでチームに所属してサッカーをしていません。

当時僕は、サッカーをすることから完全に逃げてしまったんだと思っていました。

ですが、それは大きな誤解でした。

僕が本当に逃げていたのは、

挑戦をした上で、自分の実力がなかったことを自覚すること、またそれを他人に知られることから逃げていた

と考えています。

今回ブログをこうして公開できたのも、自分と真剣に向き合って、嘘のない本当の自分の気持ちを自分自身で認めることができたからです。

これまでは身近な友達にもこの体験を話す勇気がなく、聞かれたときは、いつもはぐらかしてきました。

ですが、そういった態度自体が逃げているのだと思っています。

ここまで真剣に向き合うことの大切さを書いてきましたが、最後に真剣に向き合うことの定義をまとめておきます。

僕なりの真剣に向き合うという言葉の定義は、

目の前の現象ではなく、本質的に自分は何に逃げているのかを見極め、それから逃げないこと

だと思っています。

サッカーが教えてくれたこの気づきを無駄にしないためにも、これからは自分の過去を隠さずオープンにし、人と真剣に向き合っていこうと思っています。

6. 最後に

僕のサッカーで生活していくという夢は叶いませんでした。

ですが、これまでサッカーは僕に本当にたくさんの気づきを与えてくれました。

むしろそれを受け取るための手段としてサッカーが必要だったとさえも思います。

僕は、体験していること自体よりも、それを通して得られる気づきに価値があると思っています。

そう思うと、どんなことでもやってみる価値はあると思えてきます。

目の前の対象にとらわれず、本質的に自分は何に恐れていて何から逃げているのかを考える。そしてそれに逃げずに向き合えたとき、本当に腑に落ちる瞬間があります。

そしてそのとき、とてつもない幸福感を感じることになります。

そんな気持ちを味わうためにも、ぜひ挑戦をためらわず、何事に対しても真剣に向き合ってみてください。

真剣に向き合うことの意味、楽しさを多くの方が感じてくれれば嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました